POLICY

私、鶴田竜二は
モータースポーツに足を踏み入れ早26年になります。
皆様のご支援ご声援のもと、今もレース活動ができることを
大変有り難く感謝しております。
と同時に皆様のバイクライフに携われることを、
大変嬉しく思っています。

ストリートライダーやレースの経験を活かし、
『ユーザーが本当に求めているモノ、ライダーの立場に立ったものづくり』を
したいと考え、生み出したのが我流のブランドTRICK☆STARです。
TRUE BLUE『妥協しない』という信念のもとに、
自信のあるもの、私が信頼できるものしか製品にしていません。
そのため、きっと協力会社様には、細かく厳しいヤツだと思われている
ことと思いますが、賛同してくれるスタッフたちとともに日々、奮闘しております。
お陰様で、2006年から組織を株式会社トゥルーブルーと改め
再スタートを切ることとなりました。
今後もTRICK☆STARを愛してくださる皆様のためにも、
期待に応えられるよう更に努力をしてまいります。

一度でもモータースポーツに携わった方なら、
モータースポーツでしか味わえない面白さ、
素晴らしさを理解されていることと思います。
 しかし、昨今この業界が低迷の一途をたどっており、残念でなりません。
モータースポーツを夢のある場所に変革させたい!
今までも、そしてこれからも、私が愛するモータースポーツを
多くの皆様に伝えていきたいと考えています。
また、それが私の使命だとも思っています。
トゥルーブルーはこれからもモータースポーツを通じて業界ならびに
社会に貢献していく所存です。
今後ともご愛顧いただけますよう、お願い申し上げます。

鶴田竜二プロフィール

はじめはバイクにはまったく興味がなく、むしろバイクは暴走族の乗り物=不良みたいに思っていた。特に中学生時代はシンガーを目指そうとしていた鶴田は高校も夜間の定時制に通った。そこに一緒に通っていた仲間の影響でバイク(原付)に乗りはじめ、それからバイクの魅力に取り憑かれたように峠に通いライディングを楽しむ毎日を過ごす。だが峠時代に仲間の事故や転倒のリスクが気になりだし、走るフィールドをサーキットに向けるようになった。幸いにも当時、地元で活動をはじめたばかりのイーグルレーシングチームに所属することができ、これがきっかけで本格的にレースに挑むようになった。

デビュー

83年 鈴鹿200kmレース併催ノービスSSクラスでデビューを果たす。当時エントリー台数が500台を超える中予選11位で通過、決勝は雨のレースで2周目に転倒リタイアとなった。
84年 当時人気があったTV番組『Do!スポーツ』の企画で、タレント清水国明氏と4時間耐久レースにペアを組んで出場。一時は予選落ちするも2時間耐久レースで2位になり、敗者復活し見事4耐出場を果たす。決勝は清水氏転倒による負傷のためリタイアに終わる。

清水国明氏との出会い

85年 ジュニアクラスに昇格し、清水国明氏のチーム国武舞レーシングに所属し活動をはじめる。88年まで全日本選手権併催ジュニアF3クラスにエントリーし、全国のサーキットを転戦する。

チームグリーン入り

89年 カワサキメーカー系チームであるチームグリーンにオーディションの末契約にいたる。当時チームメイトの北川圭一とライバル関係になり凌ぎをけずった。同年に行われた鈴鹿6時間耐久レースにて二人でペアを組み見事優勝する。
90年 国際A級に昇格、チームグリーンからF3クラスに参戦し、見事にシリーズチャンピオンを獲得しカワサキ国内初のタイトルをもたらした。
91年 F-1クラスに参戦。チームメイト北川と切磋琢磨し鈴鹿8時間耐久レースでは国内選手最高位である4位入賞を果たす。またパシフィック選手権に参戦し海外のレースにも挑みランキング2位を獲得する。

夢に見たGP500

92年 色んなチームやメーカーからオファーが入り、HONDAのサテライトチーム『スクーデリア奥村』に移籍。国内最高峰であるGP500に参戦する。同年鈴鹿8時間耐久レースに元ワールドチャンピオン『フレディースペンサー』とペアを組み、お互い1回ずつ転倒をするも4位入賞を果たした。

苦戦そして挫折

93年 国内GP500に参戦するも思うようなライディングができず、結果も振るわずシーズン途中でチームを去る。初めて挫折を味わった鶴田はとにかく苦しみ抜いた。そして理想のライディングを身に付けるため、ダートトラックやオフロードなどの基本的なトレーニングに没頭し続けた。
94年 再びカワサキのサテライトチームに戻り全日本スーパーバイククラスに参戦する。
96年 タレント岩城晃一氏のチーム『K'Sガレージ』に所属。

原点

97年 全日本チームで条件が合わず、活動の場所を筑波や鈴鹿で行われていた草レースに変える。『チームYELLOW CORN』からGPZ900Rで参戦。ここでレースの原点に気付き、メンタル面や技術面で大きく成長する。

再起

98年 住まいを横浜に移し『チームYELLOW CORN』から全日本Xフォーミュラークラスに参戦。同時に(株)イエローコーンで企画室長兼ハードパーツ開発部に籍を置き、業務に従事しながらレース活動を続ける。
99年 ヨシムラとモリワキと、三つ巴でチャンピオン争いをするも、惜しくもランキング2位となる。鈴鹿8耐を『チーム阪神ライディングスクール』から参戦、6位入賞を果たす。筑波『テイストオブフリーランス』レース参戦、優勝。

念願のタイトル

2000年 『チームYELLOW CORN』で3年目の参戦となり、遂にヨシムラ、モリワキを抑え念願の全日本Xフォーミュラークラスのチャンピオンを獲得する。これで国内ロードレース界に誰も果たしていないカワサキ車で二度目のタイトルを獲得した。同年鈴鹿8耐に『チーム阪神ライディングスクール』から参戦、5位入賞を果たす。また自身の『TRICK☆STAR RACING』チームを結成し、もてぎ7時間耐久レースに参戦し6位入賞を果たす。筑波『テイストオブフリーランス』レース参戦、優勝。

TRICK☆STARスタート

2001年 トゥルーブルーとして独立、同時にブランド『TRICK☆STAR』を設立。全日本選手権に『TRICK☆STAR RACING』としてST600クラスに参戦、ランキング5位。もてぎ7時間耐久レースに参戦し5位入賞を果たす。鈴鹿8耐に『チーム阪神ライディングスクール』から参戦、途中転倒し19位完走。全日本最終戦鈴鹿ラウンド『ヨシムラ』から参戦、7位入賞。筑波『テイストオブフリーランス』レース参戦、優勝。
2002年 全日本選手権SBKクラスに『チーム阪神ライディングスクール』からスポット参戦。『TRICK☆STAR RACING』としてST600クラスにスポット参戦、ランキング21位。鈴鹿8耐に『チーム阪神ライディングスクール』から参戦。予選8番手で通過するも途中転倒リタイアとなる。もてぎ7時間耐久レースに参戦。途中トップ争いに加わるが転倒し、44位完走となる。筑波『グランドスラム』レースに参戦、4位入賞を果たす。筑波『テイストオブフリーランス』レース参戦、優勝。前人未踏の4連覇を達成する。
2003年 全日本選手権に『TRICK☆STAR RACING』としてST600クラスにフル参戦、ランキング7位獲得。鈴鹿8耐に『モリワキレーシング』から参戦し12位完走。筑波3時間耐久レースに参戦、予選1位、決勝5位入賞。
2004年 全日本選手権に『TRICK☆STAR RACING』としてST600クラスにフル参戦、ランキング9位獲得。鈴鹿8耐に念願の自社チーム『TRICK☆STAR&阪神ライディングスクールレーシング』として初参戦する。途中転倒48位完走。筑波3時間耐久レースに参戦、予選4位、決勝6位入賞。
2005年 全日本選手権に『TRICK☆STAR&MAX-SPEEDレーシング』としてST600クラスにフル参戦、ランキング10位獲得。鈴鹿8耐に『TRICK☆STAR&B-LINEレーシング』として参戦。途中転倒42位完走。
2006年 『TRICK☆STAR&MAX-SPEEDレーシング』としてST600クラスにスポット参戦、ランキング19位獲得。鈴鹿8耐に『TRICK☆STAR RACING』として松戸直樹を起用し参戦。クラス3位、総合8位入賞を果たす。
2007年 『TRICK☆STAR RACING』としてST600クラスにスポット参戦、ランキング17位獲得。鈴鹿8耐に『TRICK☆STAR RACING』として参戦、13位入賞を果たす。
2008年 鈴鹿8耐に『TRICK☆STAR RACING』として武石伸也を起用し参戦。途中転倒も15位入賞。

【レース以外の活動】

(株)トゥルーブルー/ショップ『TRICK STAR NAGOYA』/『TRICK☆STAR RACING』の代表を務める。ライダーからはじめるボランティア地球愛護活動『ラブ・ジ・アース』の実行委員を務める。その他、各走行会やライディングスクールの講師を務めている。現在ロードレース並びに二輪業界の発展に力を注ぐ活動を行っている。

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